第36回 2011年9月

句評
帰り路のネオンに染まる月見草  些事
 月見草。どこかで見た!・・といいたいところだが意識してみたことがない。
 東京のどこかの園芸室へでかけてみてみよう。写真でみると撮り方にもよるがほんとうに<月のしずくを吸って咲く>花 である。
 <月見草>というとすぐどこかから声がとんできて<待宵草>とは違うんだぞ!と聞きもしないのに叱られる感じがある。やはり太宰治の冨嶽百景の<冨士には月見草がよく似合ふ>からくるのだろう。
 植物学者の湯浅浩二氏が「花をりをり」に<冨嶽百景の月見草はマツヨイグサの類と間違えたものだ>と断定的に書いている。<黄金色の月見草、金剛力ともいいたい位>と太宰は書いているが月見草は第一白い花である。夕方開花し翌朝しぼむ。よわよわしい上品な花。月を見るのだから当然夜咲く。(御坂峠の茶屋から河口湖畔の郵便局へ、バスの途中、だから見たのは日中である)というのである。
 待宵草、大待宵草を俗に月見草と呼んでいる。黄色の四弁花である。繁殖力強く、河原、空き地などに野生化した。月見草は丈夫でないため野性化することなく今日ではほとんど みることはなくなったと(日本大歳時記)にある。
 些事さんは会社がひけて客筋か同僚かとネオンの街へくりだした。帰り路のどこかで清楚な白い花を見つけた。<染まる>のだからほんものの月見草である。でも、ネオンのなか、<白>から薄紅にそまってゆく可憐なひとをみたのかもしれない。
 <冨士には月見草がよく似あふ>の言葉は太宰治によく似あふ。筆者の棲む近くに太宰の玉川がある。たまに文学老年がきて沈んだ顔で佇んでいるのがおかしい。
 <冨士山に月見草がよく似あふ>と5・7・5にリズムをかえてチャレンジにだしてもボツ。野村元監督の月見草は論外。ヒルザキツキミソウも論外。

秀句三選

入選七句

第25回  第26回  第27回  第28回  第29回  第30回  第31回  第32回  第33回  第34回  第35回